製品・商品 逓信省にカナタイプライタを納入 1925(大正14)年 日本で最初にカナタイプライタが実用化されたのは、大阪中央電信局の電報受信用とされている。これは黒澤商店が1917(大正6)年に完成させたものだった。日本事務器商会では、カナタイプライタの取り扱いに向け米国のタイプライタメーカー各社と交渉し、その1社のアンダウッド社と契約した。逓信省に試作品を提供すると耐久性試験で高く評価され、1925(大正14)年に納入が決定した。 営業写真商品
製品・商品 米国製各種事務機器を取り扱う 1927(昭和2)年 1927(昭和2)年6月発行の日本事務器商会カタログを見ると、アンダウッド社カナタイプライタのほかにアリスモス小型計算器(スウェーデン製)、マーチャント計算機、シンシナティタイムレコーダ、マルチグラフ輪転器、アンダーウッド記帳器(以上米国製)の名が並んでいた。このほかディトウ複写機、釣銭器、貨幣計数器、貨幣分類器、ナンバリング、フォルディングマシン(いずれも米国製)などが、草創期における主な取り扱い事務機器だった。 営業写真冊子
製品・商品 電報受信用カナタイプライタ約1,000台を納品 1927(昭和2)年 逓信省に納入したアンダウッド社製輸入カナタイプライタは、耐久性に優れているだけでなく、印字が見やすいという特長を兼ね備えていた。それまでのカナタイプライタは貧弱な印字しかできなかったが、日本事務器商会では専門家の協力を得て、逓信省の指定文字よりも大きめのカナ活字を設計し、くっきりと読みやすい印字ができるようになった。その結果、電報受信用にまず400台の注文が入り、1927(昭和2)年までに合計約1,000台を納めた。 営業
製品・商品 ビジブルレコーダの国産化へ 1927(昭和2)年 日本事務器商会は、ビジブルレコーダの国産化計画に着手した。日本ではそれまで事務用カードを直立式の整理器に納めるのが一般的だった。これに対してビジブルレコーダはカードに書かれている人名や品名、番号などが見やすく索引が楽にできるという特長を持つ「一覧式カード容器」である。カードは棚に水平に寝かせて格納し、必要なときに棚を手前に引き出して見る。田中啓次郎社長は米国カーデックス社製のビジブルレコーダを念頭におき、自社を度々訪れていたくろがね工作所の三村和太郎社長に製作を依頼した。 開発写真冊子
製品・商品 ビジブルレコーダ「バイデキス」を発売 1929(昭和4)年11月 ビジブルレコーダの試作は1928(昭和3)年にスタートした。苦労したのはカードの用紙や見出し部分をカバーするセルロイドの扱いだった。耐久性と収納性を兼ね備えた紙を用意し、セルロイドの収縮をコントロールするために試行錯誤を重ねた。苦労の末に1929(昭和4)年11月、くろがね工作所からわが国初のビジブルレコーダが東京の丸ビル本社に到着。「バイデキス(VIDEX)」の商品名で販売を開始した。1931(昭和6)年には広島逓信局に100台を納入するなど販売実績を挙げた。 営業写真商品
製品・商品 電報用タイムスタンプを開発 1929(昭和4)年 苦境のさなかにあっても、新たな製品への挑戦は続いた。逓信省から依頼を受けて開発した「田中式自動番号時分器」もその一つである。これは電報の依頼用紙に受付番号、受付時分を同時に記録するもので、それまでは手書きで処理されていた。1929(昭和4)年に特許が認可され、機械の製作は外部に委託した。翌1930(昭和5)年には全国の電報局に配置された。これが日本でタイムスタンプが大規模に導入された最初の例と考えられている。ただシステム上の問題から電気代がかかったため期待したほどには売れず、収益面では黒字化に至らなかった。 開発