田中啓次郎社長が代表の座を追われる
この時期、資金面で経営の支援を受けていた人々がいた。ところが彼らは、それまで融資した額を一括返済するように要請し、できなければ田中啓次郎社長に代表を退くよう求めた。事実上の乗っ取り宣言である。田中社長はこれを受け入れざるを得ず、1934(昭和9)年に合資会社日本事務器商会の本社を去り、丸ビルには新たに日本事務器合資会社の看板が掲げられた。ほかにも債権者が多い東京からくろがね工作所がある大阪に拠点を移した田中は、東の販売拠点をくろがね工作所東京販売部に置いた。