1963(昭和38)年10月 経営・事業 電算機の売上比率が高まる 1962(昭和37)年4月から翌1963(昭和38)年2月までの約10カ月間に日本電子計算機(現・JECC、国産コンピュータの産業育成を目的とした国策会社)は98台の電子計算機を納入し、NEAC(日… 詳しい情報を見る 経営・事業 電算機の売上比率が高まる 1963(昭和38)年10月 1962(昭和37)年4月から翌1963(昭和38)年2月までの約10カ月間に日本電子計算機(現・JECC、国産コンピュータの産業育成を目的とした国策会社)は98台の電子計算機を納入し、NEAC(日本電気製)が50台と半数以上を占めた。そのうち36台は当社の販売した「NEAC-1201」であった。1963(昭和38)年2月にユーザー同士の情報交換と親睦、適用業務の研究、使用効率の向上を目的にNEAC-1201研究会が創設された。さらに10月には受注160台、納入100台を達成し、記念の謝恩パーティーが開かれた。この頃からNEACは国産電算機の最大のシェアを占めるようになる。1964(昭和39)年8月にはNEAC-1201研究会の名称をNEACユーザー会に改めて分科会を設け、事例発表などの活動を盛んに行った。 営業イベント写真
経営・事業 電算機の売上比率が高まる 1963(昭和38)年10月 1962(昭和37)年4月から翌1963(昭和38)年2月までの約10カ月間に日本電子計算機(現・JECC、国産コンピュータの産業育成を目的とした国策会社)は98台の電子計算機を納入し、NEAC(日本電気製)が50台と半数以上を占めた。そのうち36台は当社の販売した「NEAC-1201」であった。1963(昭和38)年2月にユーザー同士の情報交換と親睦、適用業務の研究、使用効率の向上を目的にNEAC-1201研究会が創設された。さらに10月には受注160台、納入100台を達成し、記念の謝恩パーティーが開かれた。この頃からNEACは国産電算機の最大のシェアを占めるようになる。1964(昭和39)年8月にはNEAC-1201研究会の名称をNEACユーザー会に改めて分科会を設け、事例発表などの活動を盛んに行った。 営業イベント写真
1964(昭和39)年9月 製品・商品 電算機の新機種「NEAC-1210」を発売 1964(昭和39)年には、電子計算機をはじめ当社が扱う新製品がまとまって登場した。1月には電子計算機の入出力装置「NECシステムズニアックライタ」を発表し販売を開始した。これは電算機への入力媒体と… 詳しい情報を見る 製品・商品 電算機の新機種「NEAC-1210」を発売 1964(昭和39)年9月 1964(昭和39)年には、電子計算機をはじめ当社が扱う新製品がまとまって登場した。1月には電子計算機の入出力装置「NECシステムズニアックライタ」を発表し販売を開始した。これは電算機への入力媒体となる紙テープを作成する装置であるとともに、紙テープから情報を読み込むことで伝票などを作成できる機能も持っていた。9月には日本電気製超小型コンピュータの新製品「NEAC-1210」を発売した。記憶容量が従来機「NEAC-1201」の2倍になり、パンチテープのコードを国際規格とした。11月には東京電気製「トステック加算機」の取り扱いを始めるとともに、代理店によるその販売体制づくりに力を入れた。同じ月には東独製高級大型オフセット印刷機「プラネタ」の取り扱いも始めた。 営業写真商品
製品・商品 電算機の新機種「NEAC-1210」を発売 1964(昭和39)年9月 1964(昭和39)年には、電子計算機をはじめ当社が扱う新製品がまとまって登場した。1月には電子計算機の入出力装置「NECシステムズニアックライタ」を発表し販売を開始した。これは電算機への入力媒体となる紙テープを作成する装置であるとともに、紙テープから情報を読み込むことで伝票などを作成できる機能も持っていた。9月には日本電気製超小型コンピュータの新製品「NEAC-1210」を発売した。記憶容量が従来機「NEAC-1201」の2倍になり、パンチテープのコードを国際規格とした。11月には東京電気製「トステック加算機」の取り扱いを始めるとともに、代理店によるその販売体制づくりに力を入れた。同じ月には東独製高級大型オフセット印刷機「プラネタ」の取り扱いも始めた。 営業写真商品
1965(昭和40)年5月 経営・事業製品・商品 代理店50店の“マルブイ会”を組織 1965(昭和40)年前後には、低価格の「ロタプリンタRT-75」、アドックス加算機およびトステック加算機の新型モデル、MSシュレッダーなど取り扱う商品の拡大が続いた。バイデキス、タイムレコーダを中… 詳しい情報を見る 経営・事業製品・商品 代理店50店の“マルブイ会”を組織 1965(昭和40)年5月 1965(昭和40)年前後には、低価格の「ロタプリンタRT-75」、アドックス加算機およびトステック加算機の新型モデル、MSシュレッダーなど取り扱う商品の拡大が続いた。バイデキス、タイムレコーダを中心とする拡販も目立った。これらに対応する強力な代理店網づくりのため、同年5月に全国の優良代理店50店による“マルブイ会”が組織された。会長は田中啓次郎社長が務め、各種活動により販売の拡大をめざした。社内各部署も代理店に対する技術研修などにより多忙を極めた。 組織営業写真商品
経営・事業製品・商品 代理店50店の“マルブイ会”を組織 1965(昭和40)年5月 1965(昭和40)年前後には、低価格の「ロタプリンタRT-75」、アドックス加算機およびトステック加算機の新型モデル、MSシュレッダーなど取り扱う商品の拡大が続いた。バイデキス、タイムレコーダを中心とする拡販も目立った。これらに対応する強力な代理店網づくりのため、同年5月に全国の優良代理店50店による“マルブイ会”が組織された。会長は田中啓次郎社長が務め、各種活動により販売の拡大をめざした。社内各部署も代理店に対する技術研修などにより多忙を極めた。 組織営業写真商品
1965(昭和40)年5月 経営・事業 “EDPサークル”を組織 1964(昭和39)年には、電算機部門が当社の売上の半分以上を占めるようになっていた。ただしこれに伴い販売管理費や諸経費も急増した。そこで売上をさらに伸ばすことで収益を十分に確保するため、1965(… 詳しい情報を見る 経営・事業 “EDPサークル”を組織 1965(昭和40)年5月 1964(昭和39)年には、電算機部門が当社の売上の半分以上を占めるようになっていた。ただしこれに伴い販売管理費や諸経費も急増した。そこで売上をさらに伸ばすことで収益を十分に確保するため、1965(昭和40)年からは中小企業への拡販に力を入れ始めた。同年5月には、全国60万の中小企業に電算機による経営近代化を啓発する会員組織“EDPサークル”を立ち上げた。続いて7月には同サークルの機関誌「NJCジャーナル」を刊行し、従来のPR誌「月刊事務器」を同誌に吸収させた。なおこれに伴い社内の情報を扱う媒体として「NJCライフ」を独立させた。 組織営業サービス写真資料
経営・事業 “EDPサークル”を組織 1965(昭和40)年5月 1964(昭和39)年には、電算機部門が当社の売上の半分以上を占めるようになっていた。ただしこれに伴い販売管理費や諸経費も急増した。そこで売上をさらに伸ばすことで収益を十分に確保するため、1965(昭和40)年からは中小企業への拡販に力を入れ始めた。同年5月には、全国60万の中小企業に電算機による経営近代化を啓発する会員組織“EDPサークル”を立ち上げた。続いて7月には同サークルの機関誌「NJCジャーナル」を刊行し、従来のPR誌「月刊事務器」を同誌に吸収させた。なおこれに伴い社内の情報を扱う媒体として「NJCライフ」を独立させた。 組織営業サービス写真資料