1951(昭和26)年 製品・商品 バイデキスの需要が激増 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印… 詳しい情報を見る 製品・商品 バイデキスの需要が激増 1951(昭和26)年 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印鑑簿などの整理にはビジブルレコーダが必要で、バイデキスの需要が激増する。このブームは1955(昭和30)年頃まで続き、戦後に当社が体制の基礎を築く上で大いに貢献した。 営業写真商品
製品・商品 バイデキスの需要が激増 1951(昭和26)年 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印鑑簿などの整理にはビジブルレコーダが必要で、バイデキスの需要が激増する。このブームは1955(昭和30)年頃まで続き、戦後に当社が体制の基礎を築く上で大いに貢献した。 営業写真商品
1954(昭和29)年8月 製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽い… 詳しい情報を見る 製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 1954(昭和29)年8月 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽いことなどが特長である。金融機関や官公庁、商業高校といった主要なお客様に売り込み、続いて同社製の作表加算機、簿記会計機の取り扱いも開始。当社の業績拡大に大きく寄与する商品となっていった。 営業写真商品
製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 1954(昭和29)年8月 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽いことなどが特長である。金融機関や官公庁、商業高校といった主要なお客様に売り込み、続いて同社製の作表加算機、簿記会計機の取り扱いも開始。当社の業績拡大に大きく寄与する商品となっていった。 営業写真商品
1955(昭和30)年11月 経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8… 詳しい情報を見る 経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 1955(昭和30)年11月 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8月には事務器サービスの事務所が丸ビル3階本社分室から大森の日本タイムレコーダ工場内に移り、同年11月には丸ビル1階北口玄関コーナーに当社ショールームが完成した。 拠点営業写真商品
経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 1955(昭和30)年11月 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8月には事務器サービスの事務所が丸ビル3階本社分室から大森の日本タイムレコーダ工場内に移り、同年11月には丸ビル1階北口玄関コーナーに当社ショールームが完成した。 拠点営業写真商品
1956(昭和31)年 製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に… 詳しい情報を見る 製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 1956(昭和31)年 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に優れて堅牢なことから期待の新商品となり、その販売に力を入れることにした。同年11月にはアドラー社の会計機も入荷した。翌1957(昭和32)年1月には同社製カナタイプの拡販のためタイプ部を設置。部内にサービス部門も置いて独立採算制とした。だが思うような市場の反応を得られず、約2年後には輸入元の販売方針の変更もあってこの商品販売から撤退した。 営業写真商品
製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 1956(昭和31)年 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に優れて堅牢なことから期待の新商品となり、その販売に力を入れることにした。同年11月にはアドラー社の会計機も入荷した。翌1957(昭和32)年1月には同社製カナタイプの拡販のためタイプ部を設置。部内にサービス部門も置いて独立採算制とした。だが思うような市場の反応を得られず、約2年後には輸入元の販売方針の変更もあってこの商品販売から撤退した。 営業写真商品
1957(昭和32)年3月 製品・商品 フォトラピッド複写機を輸入 新規商品による業績拡大のさらなる試みとして、写真式複写機の輸入販売を行った。評価が高かったスイスのビュロゲレート社製フォトラピッド複写機を扱うこととし、複写機が注目されていた時期で社内の期待は高まっ… 詳しい情報を見る 製品・商品 フォトラピッド複写機を輸入 1957(昭和32)年3月 新規商品による業績拡大のさらなる試みとして、写真式複写機の輸入販売を行った。評価が高かったスイスのビュロゲレート社製フォトラピッド複写機を扱うこととし、複写機が注目されていた時期で社内の期待は高まった。1957(昭和32)年5月に丸ビル営業所で展示会を実施。焼き付けと現像を一貫処理するコンビ型と別々に行うセパレーツ型があり、三菱製紙のヒシラピッド感光紙を専用紙として合わせて販売した。同年10月には新鋭機も登場し、国産化も検討されたほどだったが、肝心の出荷台数が100台程度に止まり、期待に応える商品には成長できなかった。 営業
製品・商品 フォトラピッド複写機を輸入 1957(昭和32)年3月 新規商品による業績拡大のさらなる試みとして、写真式複写機の輸入販売を行った。評価が高かったスイスのビュロゲレート社製フォトラピッド複写機を扱うこととし、複写機が注目されていた時期で社内の期待は高まった。1957(昭和32)年5月に丸ビル営業所で展示会を実施。焼き付けと現像を一貫処理するコンビ型と別々に行うセパレーツ型があり、三菱製紙のヒシラピッド感光紙を専用紙として合わせて販売した。同年10月には新鋭機も登場し、国産化も検討されたほどだったが、肝心の出荷台数が100台程度に止まり、期待に応える商品には成長できなかった。 営業
1958(昭和33)年3月 経営・事業 市町村行政事務の分析・改善提案を開始 バイデキスによる自治体の事務環境改善が進むなか、自治庁振興課は1958(昭和33)年にモデル市町村の事務の実態を調査分析する計画を立てた。その実務を委嘱された当社は、同年10月に自治体の実態調査を行… 詳しい情報を見る 経営・事業 市町村行政事務の分析・改善提案を開始 1958(昭和33)年3月 バイデキスによる自治体の事務環境改善が進むなか、自治庁振興課は1958(昭和33)年にモデル市町村の事務の実態を調査分析する計画を立てた。その実務を委嘱された当社は、同年10月に自治体の実態調査を行った。11月に提出した答申の調査結果および改善提案をしたがその評価は高く、続けて同様の委嘱をされ、調査分析とともに職員研修を実施した。1960(昭和35)年までに40市町村以上を訪れたが、このことにより当社は地方自治体という事務機器の市場に揺るぎない地位を築いていった。 営業サービス写真資料
経営・事業 市町村行政事務の分析・改善提案を開始 1958(昭和33)年3月 バイデキスによる自治体の事務環境改善が進むなか、自治庁振興課は1958(昭和33)年にモデル市町村の事務の実態を調査分析する計画を立てた。その実務を委嘱された当社は、同年10月に自治体の実態調査を行った。11月に提出した答申の調査結果および改善提案をしたがその評価は高く、続けて同様の委嘱をされ、調査分析とともに職員研修を実施した。1960(昭和35)年までに40市町村以上を訪れたが、このことにより当社は地方自治体という事務機器の市場に揺るぎない地位を築いていった。 営業サービス写真資料
1959(昭和34)年1月 製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は… 詳しい情報を見る 製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 1959(昭和34)年1月 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は前年末に三井物産との間で同社製品の販売代理店契約を結んでいた。製造元のロタ社は英国と西独に本社と工場を持ち、世界に向けて印刷機器を送り出すメーカーだった。社内印刷をまとめて行うというニーズに応えることを狙ったが、印刷精度が高い一方で価格も高く、当初は納入台数が伸び悩んだ。だが新機種の開発が進むとともに印刷所関連のお客様が増えて大半を占めるようになり、当社の有力商品の一つになっていった。 営業写真商品
製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 1959(昭和34)年1月 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は前年末に三井物産との間で同社製品の販売代理店契約を結んでいた。製造元のロタ社は英国と西独に本社と工場を持ち、世界に向けて印刷機器を送り出すメーカーだった。社内印刷をまとめて行うというニーズに応えることを狙ったが、印刷精度が高い一方で価格も高く、当初は納入台数が伸び悩んだ。だが新機種の開発が進むとともに印刷所関連のお客様が増えて大半を占めるようになり、当社の有力商品の一つになっていった。 営業写真商品