1950(昭和25)年 製品・商品 機械式計算機を開発し発売 東芝の関連会社である東京電気と提携して、機械式のオドナー型計算機の開発に着手した。そして1953(昭和28)年に「ブルースター(Blue Star)」の商品名で発売した。既に市場を独占していた同種の… 詳しい情報を見る 製品・商品 機械式計算機を開発し発売 1950(昭和25)年 東芝の関連会社である東京電気と提携して、機械式のオドナー型計算機の開発に着手した。そして1953(昭和28)年に「ブルースター(Blue Star)」の商品名で発売した。既に市場を独占していた同種の計算機もあったが、当時国産計算機は有力商品で、当社はこれをオリジナルの看板商品として売り込もうとした。ところが1954(昭和29)年に東芝事務機が設立されて、ここが東京電気の製品を扱うことになった。商流が複雑になるためやむを得ずこの計算機の代理店営業を取り止め、本店および支店の営業エリアを対象に直販に専念した。 経営開発写真商品
製品・商品 機械式計算機を開発し発売 1950(昭和25)年 東芝の関連会社である東京電気と提携して、機械式のオドナー型計算機の開発に着手した。そして1953(昭和28)年に「ブルースター(Blue Star)」の商品名で発売した。既に市場を独占していた同種の計算機もあったが、当時国産計算機は有力商品で、当社はこれをオリジナルの看板商品として売り込もうとした。ところが1954(昭和29)年に東芝事務機が設立されて、ここが東京電気の製品を扱うことになった。商流が複雑になるためやむを得ずこの計算機の代理店営業を取り止め、本店および支店の営業エリアを対象に直販に専念した。 経営開発写真商品
1951(昭和26)年 製品・商品 バイデキスの需要が激増 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印… 詳しい情報を見る 製品・商品 バイデキスの需要が激増 1951(昭和26)年 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印鑑簿などの整理にはビジブルレコーダが必要で、バイデキスの需要が激増する。このブームは1955(昭和30)年頃まで続き、戦後に当社が体制の基礎を築く上で大いに貢献した。 営業写真商品
製品・商品 バイデキスの需要が激増 1951(昭和26)年 戦後、日本経済が立ち直っていくとともに事務機器の需要が拡大した。1949(昭和24)年に証券取引所が再開されると株式の取引が活発化し、大量の情報処理のため事務の機械化が進んだ。株式名簿、株券台帳、印鑑簿などの整理にはビジブルレコーダが必要で、バイデキスの需要が激増する。このブームは1955(昭和30)年頃まで続き、戦後に当社が体制の基礎を築く上で大いに貢献した。 営業写真商品
1954(昭和29)年8月 製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽い… 詳しい情報を見る 製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 1954(昭和29)年8月 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽いことなどが特長である。金融機関や官公庁、商業高校といった主要なお客様に売り込み、続いて同社製の作表加算機、簿記会計機の取り扱いも開始。当社の業績拡大に大きく寄与する商品となっていった。 営業写真商品
製品・商品 アドックス加算機の輸入販売を開始 1954(昭和29)年8月 スウェーデンのアド社製加算機「ADDO-X」の販売を開始した。オランダの商社、リンデテベス・ヤコベルグ社(JACOBERG OVER ZEE)を通じての輸入品で、堅牢で故障がごく少なく、タッチが軽いことなどが特長である。金融機関や官公庁、商業高校といった主要なお客様に売り込み、続いて同社製の作表加算機、簿記会計機の取り扱いも開始。当社の業績拡大に大きく寄与する商品となっていった。 営業写真商品
1955(昭和30)年11月 経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8… 詳しい情報を見る 経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 1955(昭和30)年11月 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8月には事務器サービスの事務所が丸ビル3階本社分室から大森の日本タイムレコーダ工場内に移り、同年11月には丸ビル1階北口玄関コーナーに当社ショールームが完成した。 拠点営業写真商品
経営・事業 丸ビル営業所(ショールーム)を開設 1955(昭和30)年11月 アドックス加算機の営業を開始した翌年の1955(昭和30)年4月には器械部が設置され、アドックス加算機と前述のブルースター、タイムレコーダという機械関係商品の営業活動を行う体制を一本化した。この年8月には事務器サービスの事務所が丸ビル3階本社分室から大森の日本タイムレコーダ工場内に移り、同年11月には丸ビル1階北口玄関コーナーに当社ショールームが完成した。 拠点営業写真商品
1956(昭和31)年 製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に… 詳しい情報を見る 製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 1956(昭和31)年 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に優れて堅牢なことから期待の新商品となり、その販売に力を入れることにした。同年11月にはアドラー社の会計機も入荷した。翌1957(昭和32)年1月には同社製カナタイプの拡販のためタイプ部を設置。部内にサービス部門も置いて独立採算制とした。だが思うような市場の反応を得られず、約2年後には輸入元の販売方針の変更もあってこの商品販売から撤退した。 営業写真商品
製品・商品 アドラータイプライタを輸入販売 1956(昭和31)年 拡大3カ年計画が始まった1956(昭和31)年には、西独アドラー社製のタイプライタを販売することが決まった。ユニバーサル型、スペシャル型、プライベート(ポータブル)型の3種類があり、デザインや材質に優れて堅牢なことから期待の新商品となり、その販売に力を入れることにした。同年11月にはアドラー社の会計機も入荷した。翌1957(昭和32)年1月には同社製カナタイプの拡販のためタイプ部を設置。部内にサービス部門も置いて独立採算制とした。だが思うような市場の反応を得られず、約2年後には輸入元の販売方針の変更もあってこの商品販売から撤退した。 営業写真商品
1959(昭和34)年1月 製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は… 詳しい情報を見る 製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 1959(昭和34)年1月 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は前年末に三井物産との間で同社製品の販売代理店契約を結んでいた。製造元のロタ社は英国と西独に本社と工場を持ち、世界に向けて印刷機器を送り出すメーカーだった。社内印刷をまとめて行うというニーズに応えることを狙ったが、印刷精度が高い一方で価格も高く、当初は納入台数が伸び悩んだ。だが新機種の開発が進むとともに印刷所関連のお客様が増えて大半を占めるようになり、当社の有力商品の一つになっていった。 営業写真商品
製品・商品 「ロタプリント」の輸入販売を開始 1959(昭和34)年1月 拡大5カ年計画初年の1959(昭和34)年1月には事務用高速オフセット印刷機、「ロタプリント(Rotaprint)」の輸入販売が決まり、その翌月から丸ビル営業所に展示してテスト印刷を公開した。当社は前年末に三井物産との間で同社製品の販売代理店契約を結んでいた。製造元のロタ社は英国と西独に本社と工場を持ち、世界に向けて印刷機器を送り出すメーカーだった。社内印刷をまとめて行うというニーズに応えることを狙ったが、印刷精度が高い一方で価格も高く、当初は納入台数が伸び悩んだ。だが新機種の開発が進むとともに印刷所関連のお客様が増えて大半を占めるようになり、当社の有力商品の一つになっていった。 営業写真商品
1959(昭和34)年12月 製品・商品 東京都内でバイデキスを大量納入 神武景気を上回る好況となった1959(昭和34)年の年末には、東京都が国民健康保険業務を開始することが決まった。これに伴い都内の各特別区では被保険者台帳・給付記録・賦課徴収簿・索引簿などの台帳が必要… 詳しい情報を見る 製品・商品 東京都内でバイデキスを大量納入 1959(昭和34)年12月 神武景気を上回る好況となった1959(昭和34)年の年末には、東京都が国民健康保険業務を開始することが決まった。これに伴い都内の各特別区では被保険者台帳・給付記録・賦課徴収簿・索引簿などの台帳が必要となり、バイデキスの大量採用につながった。この約2年前には「国民健康保険法」が施行され、それ以来当社はバイデキスによる国保関連の効果的な事務処理方法を検討するとともに、自治体に向けた普及啓発活動を続けてきた。都内における大量採用はその成果の一例であり、東京以外の各地の自治体にもバイデキス採用の動きが広がっていった。 営業サービス写真商品
製品・商品 東京都内でバイデキスを大量納入 1959(昭和34)年12月 神武景気を上回る好況となった1959(昭和34)年の年末には、東京都が国民健康保険業務を開始することが決まった。これに伴い都内の各特別区では被保険者台帳・給付記録・賦課徴収簿・索引簿などの台帳が必要となり、バイデキスの大量採用につながった。この約2年前には「国民健康保険法」が施行され、それ以来当社はバイデキスによる国保関連の効果的な事務処理方法を検討するとともに、自治体に向けた普及啓発活動を続けてきた。都内における大量採用はその成果の一例であり、東京以外の各地の自治体にもバイデキス採用の動きが広がっていった。 営業サービス写真商品