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  • 1962(昭和37)年9月 経営・事業

    千葉工場が完成し始動

     当社の取扱商品が多様化し、販売が順調に拡大するとともに、その保守管理や修理を行う体制の確立が課題となっていた。こうした技術サービスのみならず、商品の改良や新商品の自主開発をする拠点として自社工場を持…
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  • 1963(昭和38)年3月 製品・商品

    電算機入力機「アドパンチャー」を発売

     前年から自社で開発していた電算機への入力機(インプットマシン)が発売された。「アドパンチャー(ADP)」と名づけられたこの商品は、情報を計算機に伝える媒体となる紙テープに孔を開ける装置で、アドックス…
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  • 1963(昭和38)年7月 経営・事業

    本社を全面的に少年画報社ビルへ移転

     1963(昭和38)年7月から本社分室を置いていた少年画報社ビルの2階から5階までを借り切り、本社機構と東京支店(機械部)、各営業部門を移転させた。旧本社ビルの空いたスペースには、前のオフィスが手狭…
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  • 1963(昭和38)年10月 経営・事業

    電算機の売上比率が高まる

     1962(昭和37)年4月から翌1963(昭和38)年2月までの約10カ月間に日本電子計算機(現・JECC、国産コンピュータの産業育成を目的とした国策会社)は98台の電子計算機を納入し、NEAC(日…
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  • 1963(昭和38)年11月 経営・事業

    千葉工場に印刷技術センターを開設

     千葉工場では、印刷技術センターを含む第1期工事の追加工事が完了した。翌1964(昭和39)年1月には印刷技術センターで「ロタプリント」、写真植字機、製版カメラ、乾燥機、裁断機などに関係する作業を行う…
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  • 1964(昭和39)年8月 経営・事業

    共済組織“啓友会”が発足

     全社的な共済組織“啓友会”を組織し、1964(昭和39)年7月に結成発表会があった。それまでは部や支店ごとのグループが個別に活動していたのを一本化し、福利厚生として各種の給付金や貸付金を取り扱うほか…
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  • 1964(昭和39)年9月 製品・商品

    電算機の新機種「NEAC-1210」を発売

     1964(昭和39)年には、電子計算機をはじめ当社が扱う新製品がまとまって登場した。1月には電子計算機の入出力装置「NECシステムズニアックライタ」を発表し販売を開始した。これは電算機への入力媒体と…
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  • 1965(昭和40)年5月 経営・事業製品・商品

    代理店50店の“マルブイ会”を組織

     1965(昭和40)年前後には、低価格の「ロタプリンタRT-75」、アドックス加算機およびトステック加算機の新型モデル、MSシュレッダーなど取り扱う商品の拡大が続いた。バイデキス、タイムレコーダを中…
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  • 1965(昭和40)年5月 経営・事業

    “EDPサークル”を組織

     1964(昭和39)年には、電算機部門が当社の売上の半分以上を占めるようになっていた。ただしこれに伴い販売管理費や諸経費も急増した。そこで売上をさらに伸ばすことで収益を十分に確保するため、1965(…
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  • 1966(昭和41)年1月 経営・事業

    田中啓次郎社長の会長就任と宮崎博専務取締役の社長就任

     当社の経営を長きにわたり牽引してきた田中啓次郎社長は、専務取締役の宮崎博を後任の取締役社長に指名し、自らは取締役会長に就任した。これは若返りによる企業の体質強化を提唱してきたが、その機が熟したという…
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