1960年代

コンピュータ時代の扉を開く

経営・事業

神田三崎町に本社分室を置く

1960(昭和35)年9月

 東京都千代田区神田三崎町の少年画報社ビルを本社分室として、本社から業務部門が移った。従業員の増加により丸ビルのオフィスが手狭になっていたためである。丸ビルでは、移転で空いたスペースをサービス部門のオフィスとショールームとして活用することにした。この前年には本社ビルの建築計画があったが、将来さらに手狭になることを想定して建築の方はいったん据え置きとした。

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