1940年代

戦後復興と共に歩む挑戦の日々

経営・事業

債務を完済し丸ビルでの事業を再開

1940(昭和15)年

 業績の回復により、田中啓次郎は負債を一気に債権者に完済した。1940(昭和15)年のことである。これに伴い日本事務器合資会社の代表となり、名実ともに経営者の座を取り戻した。東京では丸ビルに支配人を置いてくろがね工作所東京販売部と合わせて活動した。大阪のくろがね工作所販売部も継続し、1944(昭和19)年10月に日本事務器合資会社大阪営業所となった。なお1940(昭和15)年時点で従業員は丸ビル5~6名、東京販売部10名、大阪営業所約30名の陣容であった。

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