1930年代

国産技術で切り拓く未来への道

経営・事業

新規学卒者を採用

1937(昭和12)年

 田中啓次郎はバイデキスの販売拡大活動に注力し、苦難期を脱して再び成長に転じる主力製品としていった。販売拡大を受けて、業務拡張のため1936(昭和11)年にくろがね工作所東京販売部を丸の内の仲4号館に移転した。同年にはセールスマンを一般募集し、翌1937年には新規学卒の人材獲得に乗り出した。田中の母校の早稲田大学の推薦を受けて4名を採用。そのうちの1人が後の宮崎博社長だった。

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