1920年代

事務効率化の夜明け、革新の一歩を

経営・事業

人が去り、一方で借金にも追われる

1929(昭和4)年

 輸入禁止と円暴落のダブルパンチを浴びた日本事務器商会は、第一期の繁栄期から一転して1929(昭和4)年以降、苦境にあえぐことになった。主な従業員の独立や協力者の撤退が目立つようになり、人が去る一方で借金は膨れ上がっていく。経営の整理緊縮を迫られ、1932(昭和7)年には丸ビル1階から3階に事務所を移した。創業者の田中啓次郎社長の私宅も抵当に入れて返済の足しにせざるを得なかった。「これが本当の創業の苦しみだった」と田中は後に回想している。

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