1968(昭和43)年12月 経営・事業 神田小川町に本社を移転 当社は本社を神田三崎町の少年画報社ビルから神田小川町の住友銀行神田支店ビルに移転した。新築8階建ての5階から8階の全フロアに入居し、東京の営業部門、新宿にあったEDP教育センター、千葉工場にあった東… 詳しい情報を見る 経営・事業 神田小川町に本社を移転 1968(昭和43)年12月 当社は本社を神田三崎町の少年画報社ビルから神田小川町の住友銀行神田支店ビルに移転した。新築8階建ての5階から8階の全フロアに入居し、東京の営業部門、新宿にあったEDP教育センター、千葉工場にあった東京計算センターがここに集結した。旧本社の少年画報ビルには、技術研修センターを含むその他のサービス部が移転した。なおサービス部のなかでも配送部門と倉庫関係部門は配送センターとなって元の場所の神田小川町に残り、その後1972(昭和47)年7月に新橋に拠点を移した。 拠点写真
経営・事業 神田小川町に本社を移転 1968(昭和43)年12月 当社は本社を神田三崎町の少年画報社ビルから神田小川町の住友銀行神田支店ビルに移転した。新築8階建ての5階から8階の全フロアに入居し、東京の営業部門、新宿にあったEDP教育センター、千葉工場にあった東京計算センターがここに集結した。旧本社の少年画報ビルには、技術研修センターを含むその他のサービス部が移転した。なおサービス部のなかでも配送部門と倉庫関係部門は配送センターとなって元の場所の神田小川町に残り、その後1972(昭和47)年7月に新橋に拠点を移した。 拠点写真
1969(昭和44)年3月 経営・事業 永年勤続者表彰制度を創設 創業45周年を迎え、記念事業として永年勤続者表彰制度が創設された。対象は10年以上の勤続者で、15年、20年、25年と5年刻みで表彰を受ける制度である。1969(昭和44)年3月に第1回の表彰式が行… 詳しい情報を見る 経営・事業 永年勤続者表彰制度を創設 1969(昭和44)年3月 創業45周年を迎え、記念事業として永年勤続者表彰制度が創設された。対象は10年以上の勤続者で、15年、20年、25年と5年刻みで表彰を受ける制度である。1969(昭和44)年3月に第1回の表彰式が行われ、該当する20年勤続4名、15年23名、10年24名の計51名に額付きの表彰状と銀杯が授与された。 人事福利厚生社員写真
経営・事業 永年勤続者表彰制度を創設 1969(昭和44)年3月 創業45周年を迎え、記念事業として永年勤続者表彰制度が創設された。対象は10年以上の勤続者で、15年、20年、25年と5年刻みで表彰を受ける制度である。1969(昭和44)年3月に第1回の表彰式が行われ、該当する20年勤続4名、15年23名、10年24名の計51名に額付きの表彰状と銀杯が授与された。 人事福利厚生社員写真
1971(昭和46)年5月 経営・事業 日本事務器労働組合を結成 当社は創業時からの家族的な雰囲気を持った会社であったが、従業員が700名を超える規模になり、労使間の意識の違いが生じるのも当然のようになっていた。特に若年層や社歴の浅い従業員にその傾向が目立った。こ… 詳しい情報を見る 経営・事業 日本事務器労働組合を結成 1971(昭和46)年5月 当社は創業時からの家族的な雰囲気を持った会社であったが、従業員が700名を超える規模になり、労使間の意識の違いが生じるのも当然のようになっていた。特に若年層や社歴の浅い従業員にその傾向が目立った。このような社内の変化を背景に、1971(昭和46)年5月に日本事務器労働組合が結成され、従業員がみな組合員となるユニオンショップ制をとった。以後、従業員の解雇は組合と協議した上で行い、ベースアップや賞与は組合と会社の団体交渉により決定した。 労働組合写真資料
経営・事業 日本事務器労働組合を結成 1971(昭和46)年5月 当社は創業時からの家族的な雰囲気を持った会社であったが、従業員が700名を超える規模になり、労使間の意識の違いが生じるのも当然のようになっていた。特に若年層や社歴の浅い従業員にその傾向が目立った。このような社内の変化を背景に、1971(昭和46)年5月に日本事務器労働組合が結成され、従業員がみな組合員となるユニオンショップ制をとった。以後、従業員の解雇は組合と協議した上で行い、ベースアップや賞与は組合と会社の団体交渉により決定した。 労働組合写真資料
1971(昭和46)年5月 製品・商品 「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発 当社は、それまでのビリングマシン(伝票発行機)の限界を超える「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発し、1971(昭和46)年5月に販売を開始した。電子計算機「NEAC-1200」シリーズを扱って… 詳しい情報を見る 製品・商品 「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発 1971(昭和46)年5月 当社は、それまでのビリングマシン(伝票発行機)の限界を超える「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発し、1971(昭和46)年5月に販売を開始した。電子計算機「NEAC-1200」シリーズを扱ってきた経験と技術をもとに、光電製作所と共同開発した製品である。伝票発行機であるとともに電子計算機の機能を持ち、データ入力をする現場が省力化されてキーパンチャー不足の解消、教育期間の短縮、費用の節減、データ品質の向上に貢献するなど数々の特長を備えていた。売れ行きは好調で、翌1972(昭和47)年5月に受注累計160台、納入100台を達成し、1973(昭和48)年9月には受注500台を超えた。このようなビリングマシンは、後にオフィスコンピュータへと発展していくことになる。 営業開発写真商品
製品・商品 「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発 1971(昭和46)年5月 当社は、それまでのビリングマシン(伝票発行機)の限界を超える「ビリングシリーズ・システム2」を自社開発し、1971(昭和46)年5月に販売を開始した。電子計算機「NEAC-1200」シリーズを扱ってきた経験と技術をもとに、光電製作所と共同開発した製品である。伝票発行機であるとともに電子計算機の機能を持ち、データ入力をする現場が省力化されてキーパンチャー不足の解消、教育期間の短縮、費用の節減、データ品質の向上に貢献するなど数々の特長を備えていた。売れ行きは好調で、翌1972(昭和47)年5月に受注累計160台、納入100台を達成し、1973(昭和48)年9月には受注500台を超えた。このようなビリングマシンは、後にオフィスコンピュータへと発展していくことになる。 営業開発写真商品
1971(昭和46)年6月 経営・事業 EDP開発室とデータセンターを設置 組織改編を行い、EDP(電子データ処理)に関する開発機能を販売部門のラインから分離し、スタッフ組織のEDP開発室として独立させた。新製品をはじめ開発業務に集中する部署の立ち上げであった。また経営管理… 詳しい情報を見る 経営・事業 EDP開発室とデータセンターを設置 1971(昭和46)年6月 組織改編を行い、EDP(電子データ処理)に関する開発機能を販売部門のラインから分離し、スタッフ組織のEDP開発室として独立させた。新製品をはじめ開発業務に集中する部署の立ち上げであった。また経営管理室の機械化推進チームと事務センターを東京営業本部所属の計算センターに統合し、データセンターとして独立させた。 組織開発写真
経営・事業 EDP開発室とデータセンターを設置 1971(昭和46)年6月 組織改編を行い、EDP(電子データ処理)に関する開発機能を販売部門のラインから分離し、スタッフ組織のEDP開発室として独立させた。新製品をはじめ開発業務に集中する部署の立ち上げであった。また経営管理室の機械化推進チームと事務センターを東京営業本部所属の計算センターに統合し、データセンターとして独立させた。 組織開発写真
1972(昭和47)年2月 製品・商品 「夜間金庫用受領書自動発券機(PTR)」を開発 千葉工場は新製品を意欲的に開発し、1972(昭和47)年には「夜間金庫用受領書自動発券機」を完成させ、同年2月から出荷を開始した。夜間金庫は金融機関のお客様向けサービスだが、お客様が現金を預けたのに… 詳しい情報を見る 製品・商品 「夜間金庫用受領書自動発券機(PTR)」を開発 1972(昭和47)年2月 千葉工場は新製品を意欲的に開発し、1972(昭和47)年には「夜間金庫用受領書自動発券機」を完成させ、同年2月から出荷を開始した。夜間金庫は金融機関のお客様向けサービスだが、お客様が現金を預けたのに金融機関は預かっていないとするトラブルが発生するおそれがある。この製品は、現金を預けると受領書が自動的に発券されて金融機関にはその控えが残るので、後で預けたという事実やその時間を確認できるというものだ。夜間金庫を扱う熊平製作所と当社の千葉工場および特機事業部が連携して開発し、タイムレコーダの生産技術が活かされた商品であった。 拠点営業開発写真商品
製品・商品 「夜間金庫用受領書自動発券機(PTR)」を開発 1972(昭和47)年2月 千葉工場は新製品を意欲的に開発し、1972(昭和47)年には「夜間金庫用受領書自動発券機」を完成させ、同年2月から出荷を開始した。夜間金庫は金融機関のお客様向けサービスだが、お客様が現金を預けたのに金融機関は預かっていないとするトラブルが発生するおそれがある。この製品は、現金を預けると受領書が自動的に発券されて金融機関にはその控えが残るので、後で預けたという事実やその時間を確認できるというものだ。夜間金庫を扱う熊平製作所と当社の千葉工場および特機事業部が連携して開発し、タイムレコーダの生産技術が活かされた商品であった。 拠点営業開発写真商品
1973(昭和48)年6月 経営・事業 創業50周年を迎えて全国を縦断する展示会を開催 1973(昭和48)年は、1924(大正13)年に当社が創業してから50年目となり、株式会社に改組した1948(昭和23)年から数えても25周年であった。この記念すべき年に、当社は6月に東京、名古屋… 詳しい情報を見る 経営・事業 創業50周年を迎えて全国を縦断する展示会を開催 1973(昭和48)年6月 1973(昭和48)年は、1924(大正13)年に当社が創業してから50年目となり、株式会社に改組した1948(昭和23)年から数えても25周年であった。この記念すべき年に、当社は6月に東京、名古屋、大阪で、7月に広島、福岡、札幌、仙台で新製品発表展示会を開いた。これと併せて50周年記念パーティーを開催した。展示の中心となったのは「インラインシリーズ・システム7」と「NEACシステム100」で、そのほかにも新製品や新規取扱製品が多数展示された。 ブランドイベント写真
経営・事業 創業50周年を迎えて全国を縦断する展示会を開催 1973(昭和48)年6月 1973(昭和48)年は、1924(大正13)年に当社が創業してから50年目となり、株式会社に改組した1948(昭和23)年から数えても25周年であった。この記念すべき年に、当社は6月に東京、名古屋、大阪で、7月に広島、福岡、札幌、仙台で新製品発表展示会を開いた。これと併せて50周年記念パーティーを開催した。展示の中心となったのは「インラインシリーズ・システム7」と「NEACシステム100」で、そのほかにも新製品や新規取扱製品が多数展示された。 ブランドイベント写真
1973(昭和48)年6月 製品・商品 ビリングマシンの発展形「システム7」を開発 創業50周年記念の新製品発表展示会でお目見えした「インラインシリーズ・システム7」は、1971(昭和46)年に発売した「ビリングシリーズ・システム2」の後続上位機種である。これはミニコン(ミニコンピ… 詳しい情報を見る 製品・商品 ビリングマシンの発展形「システム7」を開発 1973(昭和48)年6月 創業50周年記念の新製品発表展示会でお目見えした「インラインシリーズ・システム7」は、1971(昭和46)年に発売した「ビリングシリーズ・システム2」の後続上位機種である。これはミニコン(ミニコンピュータ)をベースとする中央処理装置により、複数のビリングマシン(システム2)と磁気ファイル装置をつなぐシステムである。複数のビリングマシンを同時に使用しながらその入力情報がリアルタイムで更新され、内容はディスプレイで見ることができるようになった。この「システム7」は、前述の「SunV」の登録商標により正式な自社ブランドとなったのに合わせて、「SunV」ブランド商品として発表された。 営業写真商品
製品・商品 ビリングマシンの発展形「システム7」を開発 1973(昭和48)年6月 創業50周年記念の新製品発表展示会でお目見えした「インラインシリーズ・システム7」は、1971(昭和46)年に発売した「ビリングシリーズ・システム2」の後続上位機種である。これはミニコン(ミニコンピュータ)をベースとする中央処理装置により、複数のビリングマシン(システム2)と磁気ファイル装置をつなぐシステムである。複数のビリングマシンを同時に使用しながらその入力情報がリアルタイムで更新され、内容はディスプレイで見ることができるようになった。この「システム7」は、前述の「SunV」の登録商標により正式な自社ブランドとなったのに合わせて、「SunV」ブランド商品として発表された。 営業写真商品
1973(昭和48)年8月 製品・商品 「NEACシステム100」を発表 創業50年目の1973(昭和48)年8月には、新たな設計思想に基づいて開発された日本電気製「NEACシステム100」が発表され、同年10月に出荷を開始した。この新機種は自由度の高い拡張機能を備え、公… 詳しい情報を見る 製品・商品 「NEACシステム100」を発表 1973(昭和48)年8月 創業50年目の1973(昭和48)年8月には、新たな設計思想に基づいて開発された日本電気製「NEACシステム100」が発表され、同年10月に出荷を開始した。この新機種は自由度の高い拡張機能を備え、公衆通信回線につないだり、大容量記憶装置や多数の周辺機器と簡単に接続したりすることが可能となった。各種の実行管理プログラムも使用でき、しかも自動化と小型化を実現しながら低価格という画期的な小型電子計算機であった。発表会にはのべ7,000名の見学者が訪れ、短期間で500台を受注したが、その6割は当社の取り扱いだった。これは前機種「NEAC-1240」の実績を大幅に上回り、電子計算機の営業部門にとって過去最高を記録することになった。 営業イベント写真商品
製品・商品 「NEACシステム100」を発表 1973(昭和48)年8月 創業50年目の1973(昭和48)年8月には、新たな設計思想に基づいて開発された日本電気製「NEACシステム100」が発表され、同年10月に出荷を開始した。この新機種は自由度の高い拡張機能を備え、公衆通信回線につないだり、大容量記憶装置や多数の周辺機器と簡単に接続したりすることが可能となった。各種の実行管理プログラムも使用でき、しかも自動化と小型化を実現しながら低価格という画期的な小型電子計算機であった。発表会にはのべ7,000名の見学者が訪れ、短期間で500台を受注したが、その6割は当社の取り扱いだった。これは前機種「NEAC-1240」の実績を大幅に上回り、電子計算機の営業部門にとって過去最高を記録することになった。 営業イベント写真商品
1973(昭和48)年9月 経営・事業 欧米視察研修チームを編成派遣 海外研修制度を拡充し、創業50周年記念の一環として、1973(昭和48)年9月から約1カ月間にわたって総勢10名の欧米マーケティング視察団の研修旅行を実施した。この年はほかにも日本コンサルタントグル… 詳しい情報を見る 経営・事業 欧米視察研修チームを編成派遣 1973(昭和48)年9月 海外研修制度を拡充し、創業50周年記念の一環として、1973(昭和48)年9月から約1カ月間にわたって総勢10名の欧米マーケティング視察団の研修旅行を実施した。この年はほかにも日本コンサルタントグループによる欧米事務機器展視察研修団、ロタプリント社の技術研修に従業員が参加し、海外で経験を積んだ。 人事社員写真
経営・事業 欧米視察研修チームを編成派遣 1973(昭和48)年9月 海外研修制度を拡充し、創業50周年記念の一環として、1973(昭和48)年9月から約1カ月間にわたって総勢10名の欧米マーケティング視察団の研修旅行を実施した。この年はほかにも日本コンサルタントグループによる欧米事務機器展視察研修団、ロタプリント社の技術研修に従業員が参加し、海外で経験を積んだ。 人事社員写真