タグ:人事

  • 1930(昭和5)年 経営・事業

    このとき、社員10余名

  • 1934(昭和9)年 経営・事業

    田中啓次郎社長が代表の座を追われる

     この時期、資金面で経営の支援を受けていた人々がいた。ところが彼らは、それまで融資した額を一括返済するように要請し、できなければ田中啓次郎社長に代表を退くよう求めた。事実上の乗っ取り宣言である。田中社…
    詳しい情報を見る
  • 1937(昭和12)年 経営・事業

    新規学卒者を採用

     田中啓次郎はバイデキスの販売拡大活動に注力し、苦難期を脱して再び成長に転じる主力製品としていった。販売拡大を受けて、業務拡張のため1936(昭和11)年にくろがね工作所東京販売部を丸の内の仲4号館に…
    詳しい情報を見る
  • 1941(昭和16)年 経営・事業

    戦中の資材不足が続く

     1941(昭和16)年に日本が太平洋戦争に突入すると、資材不足がさらに顕著になった。金属だけでなく紙やセルロイドも重要統制物資となり、一時はバイデキスの外側のケースを一般需要向けに鋼材から木材に切り…
    詳しい情報を見る
  • 1947(昭和22)年 経営・事業

    応召、徴用社員順次復員

  • 1953(昭和28)年8月 経営・事業

    新組織職制とこれに伴う人事を発表

  • 1954(昭和29)年4月 経営・事業

    計画人事を始め大学新卒者を採用

     1954(昭和29)年の創業30周年を迎えるにあたり、当社は将来の成長と拡大を見据えて計画人事に着手した。その第一弾として、幹部候補生となる大学新卒者の採用をスタートした。前年の1953(昭和28)…
    詳しい情報を見る
  • 1954(昭和29)年 経営・事業

    この年、社員約70名

  • 1957(昭和32)年12月 経営・事業

    従業員の海外研修を開始

     1957(昭和32)年12月には幹部従業員の海外研修第1回が実現した。社長室の従業員1名が羽田から空路アムステルダムに向かい、約1年半にわたり欧州各国およびアメリカ各地を歴訪した。これがその後続く従…
    詳しい情報を見る
  • 1959(昭和34)年10月 経営・事業

    人事課および技術課を新設

     販売力の増強と経営の合理化に向けて本社と東京支社の組織を改編した。この組織機構改正によりライン部門とスタッフ部門の関係が明確になった。各支店を統括する本社営業部を総務部と企画部がスタッフ部門として支…
    詳しい情報を見る
pagetop