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  • 1934(昭和9)年 経営・事業

    田中啓次郎社長が代表の座を追われる

     この時期、資金面で経営の支援を受けていた人々がいた。ところが彼らは、それまで融資した額を一括返済するように要請し、できなければ田中啓次郎社長に代表を退くよう求めた。事実上の乗っ取り宣言である。田中社…
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  • 1940(昭和15)年 経営・事業

    債務を完済し丸ビルでの事業を再開

     業績の回復により、田中啓次郎は負債を一気に債権者に完済した。1940(昭和15)年のことである。これに伴い日本事務器合資会社の代表となり、名実ともに経営者の座を取り戻した。東京では丸ビルに支配人を置…
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  • 1948(昭和23)年6月 経営・事業

    日本事務器株式会社を設立

     1948(昭和23)年6月30日、日本事務器合資会社を株式会社に組織変更し、日本事務器株式会社としてスタートした(以後、当社)。資本金150万円、代表取締役社長は田中啓次郎である。同年12月には資本…
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  • 1948(昭和23)年 経営・事業

    各地に関連会社を設立

     日本事務器商会の株式会社への改組とともに、バイデキスおよびバイコの卸部門を独立させてバイコ販売株式会社(資本金150万円)を設立し大阪に拠点を置いた。また営業拠点として株式会社神戸日本事務器を設立し…
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  • 1959(昭和34)年 経営・事業

    佐伯長生取締役急逝

  • 1966(昭和41)年1月 経営・事業

    田中啓次郎社長の会長就任と宮崎博専務取締役の社長就任

     当社の経営を長きにわたり牽引してきた田中啓次郎社長は、専務取締役の宮崎博を後任の取締役社長に指名し、自らは取締役会長に就任した。これは若返りによる企業の体質強化を提唱してきたが、その機が熟したという…
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  • 1976(昭和51)年7月 経営・事業

    業績悪化で田中啓次郎会長が代表取締役に復帰、山崎恒専務が社長就任

     当社の業績は目に見えて悪化し、倒産の危機に直面した。法人筆頭株主である日本電気とも協議したが、自力による経営建て直しは難しく、同社の全面的な救済によるしかないとの結論に至った。この非常事態に対応すべ…
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  • 1976(昭和51)年 経営・事業

    山崎社長より不退転の決意表明

  • 1981(昭和56)年5月 経営・事業

    創業者の田中啓次郎会長が逝去

     1981(昭和56)年に入ると、上期から受注が順調に推移し、年間の受注および売上が100億円を突破した。だがこの年5月16日、創業者で代表取締役会長の田中啓次郎が急逝。享年90歳であった。57年間に…
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  • 1983(昭和58)年2月 経営・事業

    竹中博夫社長就任

     創業60周年を迎えた1983(昭和58)年2月、全国各地で記念式典が開催された。累積赤字を一掃してからまだ時間が経っていないこともあり、主に社内の記念行事を行うこととした。前年秋から70年へ向けての…
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